〜41Khaki〜
こんばんは。WEST植村です。
本日はこちらのお話を…。
今日は『チノパンとは??』をお話します。
先ほど公開されたyoutubeを見られたという方もいらっしゃるかと思いますが、
『Last Resort Chino』の41Khakiとは??これを紹介致します。
※新着動画につきましては、このBlogの下の方にリンクを貼っております。
このお話につきましては、BLOGでも1度書かせては頂きましたので、
知っている方もおられるかと思うのですが、
それでもお話させていただきたいのは、チノパン=『ワークパンツ』
という認識をされている方もおられるからです。
①【チノパンの名前の由来】
チノクロスという生地で仕立てたパンツの事を、『チノパン』といいます。
②【チノクロスとは?】
※弊社の41Khakiの生地ではありません。
単糸を用いて緻密に綾織りにした厚手の織物で、
丈夫で洗いにも強い生地になります。
③【チノパンはなぜベージュが多いのか?】
インドに派遣されていた、イギリス陸軍の軍服のボトムの色が、
白だった事がきっかけなんです。
戦場の場で白のパンツは目立ちすぎる事から、カモフラージュの意味で、
桑の実やコーヒー、カレー粉を使って染めました。
こうして染められたパンツの色を『カーキ』とよびます。
※ヒンドゥー語ではカーキとは『土色』という意味。
皆様がよく使っている『ベージュ』という言葉は、
本来は『カーキ』になります。
④【チノパンがアメリカに渡った経緯】
1878〜81年のアフガン戦争にて、軍服をカーキに染める利点が認められます。
1899〜1902年に行われたボア戦争では、正式にカーキ色の軍服が採用。
これをきっかけに、イギリス/マンチェスターではカーキのズボンが大量に織られます。その余剰分をインドから中国に輸出。
(軍服にカーキが正式採用される前から、インド→中国への輸出はあったものだと思います。)
アメリカは、1898年にスペインとの戦争に勝利し、
フィリピンを統治するのですが、フィリピン駐在用の軍服として
中国からチノパンを大量に買い付けます。
これにより、イギリス→インド→中国→フィリピン→アメリカ
というルートでチノパンが渡ったとされています。
⑤【M41誕生】
軍服に対して、あまり拘りが無かったアメリカ。
戦争が行われる中で、機能的な軍服を求めるようになります。
1941年、カルフォルニアコットンをカーキ色に染めて作られた戦闘服こそ、
『US ARMY 41 Khaki』となります。
機能性を求めたこの41Khakiは、今現在のVintage市場でも人気のアイテムで、
ここ近年でいえば、良いサイズがかなり減っているなと感じています。
希少なチノパンとなります。
お分かりだと思いますが、チノパン=ワークパンツではなく、
ミリタリーパンツが正解になります。
本日は41Khakiについてのお話でした。
~今週の新着動画はこちら~
今回は新たに誕生する完全オリジナル生地の41Khakiについて!
飛ぶ鳥を落とす勢いのJELADOの41Khakiがまた進化を遂げた!!
拘るが故に、ヴィンテージにもまたまたハサミを!?
是非、ご覧くださいませ!!!
新着動画はこちらからどうぞ。